昨年父親が亡くなった時の相続で少しもめました

昨年の夏に父親が外出先で亡くなったときは母親と長男である私と協力してなんとか葬儀を終えることができました。実家で離れて暮らしていますが、母親と弟の2人暮らしになるので生活の心配をしなければなりません。父親は前日まで元気でしたので当然遺言状もなくどれくらい遺産が残っているかにより今後の生活に支障がでてきます。
実家は都内にある一軒家で借地でしたが5年ほど前に大家さんから買い取りを要求されたときに、父親の配慮で一部名義を私にしておいてくれました。当然支払いの義務があったので毎年口座に振り込んでいました。
実家の金庫に土地や家の権利書があり、他にも父親名義の株券、銀行の定期預金、郵便局の預金通帳がでてきたので資産が大体把握できました。母親は父親が亡くなった途端老後の生活に不安になったのか、凍結された父親の銀行、郵便局、株券を自分の名義にしようと始めました。名義変更するためには相続者がだれかを特定しないと金融機関は受理してくれません。母親の為に今住んでいる市役所から印鑑登録証明書を何通も取りにいき、そのたびに実印を持って実家にいっていました。母親は当然の顔をしているので遺産を法定分もらおうかと一瞬思いましたが、弟が病気で実家から離れることができないので考えを変えました。遺産分割協議書の書き方を税務署の相談窓口で聞きながら、なんとか遺産全額を母親にする文面に仕上げて提出しました。
相続税に関する知識もありませんでしたが、高齢の母親に任せるわけにもいかないので税理士に頼もうと思いましたが母親がお金がもったいないと言い出したので仕方なく何度も相談にいった税務署にいくと親切に教えてくれました。一人で相続税に対しての書類を作成できるか聞いたところ、時間をかければできるといってくれたので、土地の路面価格や葬儀にかかった費用などすべて資産を洗い出しなんとか作成することができました。相続者が母親と子供2人かを証明するために父親が出生した市役所から戸籍謄本を取り寄せ、亡くなるまでの戸籍一式をそろえるのが一番大変でした。父親は田舎出身でネットで取り寄せることができないので市役所の担当者とやりとりしてやっと入手できました。
結局相続税がかからにことが判明したので一息つけたのは父親がなくなってから5か月ほどあとです。母親も少し機嫌がよくなり年金も少し加算されることになったのでなんとか生活はできそうです。

財産が少なくても、遺言で家族にメッセージを残して欲しい

祖父母が亡くなったのはここ2,3年の話です。先に祖母が逝き、その後少々病気療養もしつつ大往生といっていいのではないのでしょうか祖父もなくなりました。二人とも人間のできた人たちで私も大好きでした。祖母のときは、夫である祖父がしっかりしてましたので相続についてあまり心配されなかったのですが、いざ祖父が亡くなったときに、よもやウチで相続問題が起きるとは思いませんでした。

遺言を残さない不思議
祖父は遺言書を残していませんでした。思慮深く、実際書くとなれば専門書を引っ張り出してきて緻密な配慮をした遺言を書き上げるのではないかという性格だったので、それを聞いたときに私は意外な気持ちになりました。祖父には、私の親を含めて子どもが3人います。多少の預貯金と不動産、商売の在庫などがありますが、その分け方をどうしてほしいとか、家は誰かに丸ごと渡すとか、一切思いのたけが形に残っていません。たいした額ではないと慎ましく思ったのか、特段モメるような兄弟姉妹ではないと信頼していたのか、定かではありません。

お別れや供養の方法
相続財産の行方も気になるポイントですが、亡くなってすぐやってくるのは葬儀ですよね。親戚同士で誰に声をかけるとか、葬儀社との連絡を誰がするとか、どんなレベルの設えにするかとか、びっくりするほど決まりませんでした。というのも、こうあるべきだという意見が互いに強すぎて、子どもたちの間でもうモメていたのです。生前人付き合いのよい人だったから、きちんと近所の人や仕事関係の人に知らせようとする人と、喪主の立場として大規模になればなるほど事務関係が大変になるので極力小規模にしたいという人と、すっかり分かれてしまったのです。それぞれに意見があり譲りませんので、ここでどんな葬儀にしてほしいと一言残してくれれば、故人の希望ですので自分たちの都合どうこうよりも優先したでしょう。

家や仏壇の管理
葬儀もドタバタのうちに終わりましたが、その後も家を誰の名義にするとか、仏壇やお墓を誰が管理するとか、数多くのことを話し合い、結果長男が家を相続することになりました。その話の終わりが見えるまで散々言い合って、鬱憤が晴れないと各所で愚痴を言ったりと、そうとうなストレスなんだろうと感じ取れました。

めぼしい財産がなくても、たとえば意識がハッキリしなくなったらどう対処してほしいとか、葬儀はどんな開催方法にしてほしいとか、遺言やエンディングノートを残してくれるだけでも残された人たちへの最後のメッセージとして気持ちが伝わるのにと思った相続体験でした。
そんなことから、私は「迷わずできる葬儀のあとの手続きのすべて (何を、いつまでに、どこへ?)」を書かれている弁護士のHPを参考にしています。

相続は相続人のパートナーが口出しするとよけいにこじれやすくなる

相続問題はどこの家でも頭を悩ませる問題になりがちなようです。それまでどんなに仲良く暮らしていた兄弟でも相続に関する問題に直面すると多くの場合誰もが満足できる内容にするのは難しく、相続の手続が終了してからも関係がギクシャクしてしまうことが珍しくないようです。叔母はとても献身的に舅の面倒を見続け、最期まで自宅で看取りました。おじはとてもおとなしい人で、自分の姉や妹に対しては強く言えないため、叔母はとついでから何かといやな思いをすることが多かったようです。そして舅を看取った後に訪れた相続問題でもやはり酷く理不尽な扱いを受けて憤慨していました。舅は相続問題でもめないようにと嫁いだ自分の娘たちに生前に少しまとまったお金を渡し、自分に何かあったら後を継いでいる叔父に全て相続させるように言い含めてあったようなのですが、いざ父親がなくなってみると叔父の姉や妹たちは自分たちにも相続権があると主張してきたようです。たしかに相続権は法律的にはあるのですが、相続の際にもめることのないようにと生前に父親から贈与を受けていたにもかかわらず、それはそれとして受け取って権利は別に主張してくるというなんとも虫のよい要求をしてきました。そこで本来ならば父親の意志を大切にしようと叔父がぴしゃりと言い放てばよいのですが、気の弱い叔父には中々そんなことは特に姉に対しては言えず、ぐずぐずと迷っていました。叔母はいくら自分が献身的に舅の面倒を見たとしても相続権がないためこの件に口出しは出来ないと思っていたようなのですが、あまりに理不尽な言い分にさすがに腹を立てていました。しかも相続問題をさらに複雑にしてしまっているのが叔父の姉の夫の存在です。自分には相続権はないにもかかわらず、法定相続分はきっちりと受け取ってくるように言っているようで、叔父の姉は自分の要求を曲げる気持ちはサラサラないようです。血を分けた兄弟で争うなんて最も避けたかったことだと思うのですが、叔父は自分で解決することは出来ず、対策を弁護士に相談するようです。

負の遺産相続なんてまっぴら

遺産相続って、言われるとなんだかお金持ちの感じがします。
私だけでしょうか?でも実際は、大変なことの方が多いのは事実です。
なんだか、お金持ちの方は、たくさんの資産をどうやって分けるかを、揉めたりしますよね。
本当なのかわかりませんが、テレビの世界では骨肉の争いが繰り広げられているではありませんか。でもあれは、遺産があっての話です。
遺産はそんな良いものばかりではありません。なぜなら、負の遺産もあるからです。
最近のお家の場合は、住宅ローンが残っていても、契約者本人が無くなれが、生命保険から支払われるような仕組みになっていることが多いと思います。
しかし、我が家の体験は違います。要するに、景気のいい時に思い切ってビルを建てて自社ビルなどを所有していたわけです。
もちろん良い時代もあったのでしょう。私は子供だったのでわかりませんが。
そんな時代に建てたビル、それもなかなかの商業地に。お値段もお高かったはず。
本人は、幸せ者です。自分が死んだかもわかっていないんじゃないでしょうか。
要するに、世間でいうぽっくり亡くなった。そんな幸せな死に方でした。苦しむことも少なく、何も考えずに、あの世に旅立ったのです。
残されたものはどうでしょうか?それも、なかなかのやり手で、複雑な家庭環境。残ったビルはどうなる?商売柄、借金もある。
もちろんビルの借金も。
相続放棄しかない。もちろん放棄です。
しかし、父親の商売に、我が家のマンションが担保に。しかし、マンションを追い出されると我が家はどうなるの?
私の会社に弁護士から電話はかかってくるは、母は寝込むはでてんやわんや。そんな最中なのに、姉はオメデタ。信じられない。時期を考えてほしい。
結局私たち親子は、マンションを買い取る形でお金を払ったのです。
なんで、二回も同じマンションにお金だすねん。
その他は、放棄して、借金は背負わなくてよかったのですが、私ひとりドタバタとして、ストレスが溜まり、その後円形脱毛症になってました。
今から10年以上前の話ですが。もう遺産相続はこりごりです。
なので、母には生きている間にちゃんとしてほしいと口が酸っぱくなるほどいっております。

時代と共に変わっていく葬儀の形を身内の葬儀で感じました。

ゴールデンウィークに入る前に、私の妻の母がご逝去されました。余命宣告されていたとはいえ、突然の出来事でした。私はボランティアとしても葬儀での段取りのお手伝いや進行はしていたのですが、それはあくまでボランティアと言う中だけの役割で、どれだけ葬儀に携わっていても、実際に身内が亡くなると客観的ではない現実が突きつけられる場面が沢山ありました。その経験もきっと、今後のボランティアには生かされていくのだろうと思いますが、特に自分にとって近い身内が亡くなると、本当に大変なのだと感じさせられました。それは葬儀が始まってしまえば、事は進んでいくのですが、その葬儀までの準備や葬儀後のお墓の問題など、今までわからなかった現実の問題点が、次々と降り掛かって来るのだと感じました。お金に余裕がある方は、何て事のない事も、お金がない親族の場合は、大きな問題となります。今回の身内の葬儀がそうでした。沢山の方に賛同してもらいたい。またそういう人格のある義母でした。しかし、現実はそこまで大掛かりにするだけの予算はありませんでした。義母の子供達の思いと現実に悩まされました。そして、何の為に葬儀保険であったり、互助会などがあるのかがわかりました。私も40代半ばです。両親の年齢を考えると、そういった葬儀費用の問題は、真剣に考えなくてはと思いました。ただ、今回の葬儀で、費用が厳しいご家族用に、多種多様なプランがある事もわかりました。確かに最近の葬儀は、私もいろいろ参加して感じていましたが、友人葬や家族葬が意外と多いと言う事です。また、お通夜をせずに、告別式のみにしているケースも多いです。勿論、費用を出来るだけ抑える部分が大きいと思いますが、故人が知っているメンバーのみで、葬儀を行う事は本来の葬儀の姿なのではないのかとも思ったりしています。今回の義母の葬儀も告別式のみの家族葬でした。故人のご兄弟は、遠方から日帰りで来られましたが、誰にも気を使わず、自然体の中で行われた葬儀でした。印象的な葬儀でした。葬儀屋が入っているのですが、手作り感のあるものでした。葬儀屋の担当の方とお話する機会があったのですが、その中で、最近は昔ながらの葬儀は減っている中で、逆に様々な葬儀の形が増えている事で、ご家族の意向、故人の意向を出来るだけ反映された葬儀が今はスタンダードになってきているとの事でした。結婚式もそうですが、葬儀も時代と共に、変化して行っていると感じていると共に、正解がない分、やり直しがきかない分、故人への思いは、必ず自分に返ってくるものなのだと、妻を始め、賛同した親族の自然な涙を見て、そう感じさせられました。

生き別れた父の相続

私が1歳半の頃に両親が離婚し、私は母と一緒に母の実家で暮らし始めました。
父と同じ都道府県で暮らしてはいたのですが、一度も顔を合わす事なく私が30歳になった時に父が亡くなったという知らせがありました。
父に会うチャンスはこれで最後と思い、意を決して父の葬儀へ母と行きました。
葬儀会場で父のお兄さん、お姉さん、妹さん、そして再婚した後妻さんに会いました。
物心がついて最初で最後の父との対面を果たし、約30年の心のモヤモヤがスッキリ解消したように思い帰宅しました。
それから数か月後、私の元に家庭裁判所から通知が届きました。
相続人は後妻と娘の私。
通知に記載された日時に私は幼い息子たちを連れて裁判所へ出向きました。
葬儀の時にはあまり嫌なイメージはありませんでしたが、裁判所の待合室で顔を合わせた時は葬儀の時のイメージとは大違いで私が挨拶しても完全無視。
裁判所の方から部屋に通され、父が残した遺言状を見せられ「お父様の文字で間違いありませんか?」と問われましたが、私は父が書いた字など見たことも無かったので「分かりません」としか言えませんでした。
その時、隣りに座っていた後妻は鼻で笑いました。
遺言状の内容は財産全てを後妻に渡すとの内容でした。
父から私が20歳になるまできっちり毎月養育費が支払われていた事を知っていたので、元々相続するつもりは無かったのでその内容を見ても別に何とも思わず、むしろ「父に借金があったらどうしよう・・・」という不安の方が大きかったので少し安心していたように思います。
「これで終わり」と思い、裁判所を出たのですが最初から最後まで嫌悪感でいっぱいだった後妻の姿に腹を立て、今後一切の関係を絶つためにと思い相続放棄の手続きを取りました。
それから10年。
次は私の祖母(父の母)が亡くなり、また裁判所から通知が届きました。
相続人は父の兄・姉・妹と私。
父の兄弟はとてもいい方たちで裁判所の部屋に通されるなり、私に再会できた事をとても喜んで頂けました。
そこで分かった事実が、私の父には億単位の財産があったこと。
父の後妻は相続の手続きを全て終えた後は父の兄弟と音信不通になり、キャッシュで家と父の墓を建てたという話を聞きました。
私に裁判所で嫌悪感を与えるような態度を取ったのも全て計画だったのでは?という話で、その後 銀行の貸金庫に私宛ての何かを預けていたという話も聞きましたが私が相続放棄をしたために何が預けられていたのかも告げられないまま後妻が自分の物にしたそうです。
もしも時間が戻れるものならば、感情を抑えて適切に対応すれば良かったと今でも後悔しています。